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せつしやう石

コマ番号
/20

解題/抄録

書誌の解題/抄録
青本合1冊、覆表紙の題名「殺生石水晶物語」は別の作品名で誤り。画作者無記、柱題「せつしやう石」、鱗形屋版。『国書総目録』第5巻(岩波書店、1967.11)に「殺生石」で「日比谷加賀」とある2巻(下欠)本と同。
(内容)殺生石(玉藻の前)もの。近衛帝の代とする。
(上)鳥羽院は第八皇子を即位させて近衛帝とし、平忠盛と后の相談をする。左大弁頼長が三十二相に叶う女の絵姿を叡覧に供え、帝はその女を探させる。頼長の兄忠道が宣旨を被り、兄弟仲は亀裂する。頼長は徳大寺公能の娘多子を中宮に、忠道は藤原伊通の娘程子を后に奉る。帝が程子を寵愛し多子を疎んじるので、頼長は安からず謀を巡らす。その頃長柄の里の絵描きが奉った絵姿が殊に美しく、高札場に掲げて吟味させ、貴賤群集し評判する。頼長の家来木偶左衛門は、鳥辺野で小狐を見付け殺そうとすると二八(16歳)ほどの女が宥めるので小狐を許す。この女は三十二相どころか一目見て魂を失う程なので、木偶左衛門は連れ帰り頼長に見せる。
(中)頼長は喜び、十二単を着せ参内させる。近衛帝は一目で御悦喜限りなく名を玉藻の前とされ、三千の女官の第一して昼夜御寵愛になる。帝はある時玉藻の智恵を計ろうと五色五行相生相剋を問うと、一つも違えず悉く答えるので益々寵愛される。内裏では日没後格子を閉じ長廊下に多くの灯を立てる。その頃御殿が騒がしく八尺ほどの切禿が出て油皿を舐め干し、女官達は肝魂を失うが帝は御存じない。八月十五夜、公家殿上人が詩歌管弦の御遊の折、灯火が一度に消え、玉藻の前の額から光が差して内裏を照らす。人々は怪しみ、帝は重い御悩となる。安倍保名が祈り、晴明と忠道が内侍所の鏡に正体を映す。玉藻の前は一丈程の狐と現じ九尾を振り立て「我は三国伝来の古狐。天竺では斑足太子を惑わし、大唐では殷の紂王を誑かし、今この国で玉藻の前と変じて帝を失わんとしたが神国の威徳により正体を現す。なお王位を傾けん」と叫んで失せ、下野国那須野原に隠れ住む。三浦介と上総介は参内し、狐退治の仰せを被る。
(下)狐は犬に似る妖怪で退治し難く、両介が犬で稽古したのが「犬追物」の起源という。那須野原で勢子大勢に狩り出させると数千の狐が飛び駈けるが、目的の狐は現れない。三日三夜山々を狩り漸く飛び出した狐は大勢を食い殺す。両介が山上から放つ矢に遂に狐は射殺され、執心が石となった。この石に触る者は人も鳥獣も忽ち命を失うので殺生石と言う。数百年後、北条時頼の頃、鎌倉の扇谷山海蔵寺の源翁和尚が諸国行脚に出、足利辺で殺生石の話を聞き、那須野原で件の石に受戒を授け錫杖で打つと、石は忽ち2つに割れ毒気が空へ上がり、以後人も鳥獣も毒に当たることがないそうだ。今も石を砕く槌を源翁と言うのはこの謂われである。時の帝深草院は源翁を召し、帰依され、扇谷山の塔堂を皆建立されたとのこと。源翁禅師は越前国萩村の人で峨山禅師の弟子である。(木村八重子)(2016.9)
(紹介)「未紹介黒本青本」72(木村八重子、「日本古書通信」81(7)号、2016.7)

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