解題/抄録
- 書誌の解題/抄録
- 手書 437×500cm
夏の陣(1615)で焼失した大坂城の再建は、江戸幕府の事業として元和6年(1620)に着工され、すべての工事が終ったのは寛永7年(1630)末であったとされる。本図は寛文5年(1665)落雷により焼失した天守閣、万治3年(1660)同じく落雷による火薬庫(青屋口)の爆発で崩壊した諸建築が、完全な状態にあり、慶安3年(1650)位置変更のあった玉造口御定番屋敷が新位置に描かれていることから、竣工後10数年を経たころの実測平面図であると考えられている。建物の部分には管理責任の所在を示す与力・同心などの職級別の4種の色紙が用いられている。紙面を覆う‘へら’押界(おしかい)方眼は、1目盛三分一間となっており、200分の1という大縮尺である。京都大学附属図書館所蔵の寛永19年(1642)ごろの『洛中絵図』と同様、畿内大工頭中井家の作品といわれている。四周の石垣の上の塀に沿って多数の仏狼機(フランキ・アラビア語で西洋人のこと)砲が置かれているのは興味深い。
書誌情報
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コンテンツ情報
- フィルム番号
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T138
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1286202/1